「新しい高校生物の教科書」

新しい高校生物の教科書―現代人のための高校理科 (ブルーバックス) 新しい高校生物の教科書が出ました。


新しい高校生物の教科書 - 講談社BOOK倶楽部
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2575078


新しい高校生物の教科書 - 5号館のつぶやき(編著者の1人のブログ)
http://shinka3.exblog.jp/3405864/



かねてから*1高校生物は、「現代社会で生きるのに必要な知識」を考えたとき、他の理科に比べて圧倒的に少ないのではないか?といつも問題意識を持っていました。

特に、
・生物をどう科学的に扱ってきたか?
が高校生の段階で重要なのに、しばしば強調されていないのではないか、という点が気になっています。

健康食品ブームを見れば、
・何を知るにも「コッホの原則」的な考え方が欠かせないこと
・in vivoの実験とin vitroの実験がしばしば違うこと
は全く世間に浸透していない気がします。

そして、それに続く
・遺伝学的な考え方とそれでわかった遺伝子群の多様な働き(例えばcdcの多様性、階層性)
が生物学という学問を知って、これからの情報を考えるのに欠かせない気がします。

新しい高校生物の教科書の帯には「これだけは学んでおきたい!現代人のための「検定外教科書」現代社会で生きるために必須の科学的素養が身に付く」とありますので、もちろん上のような内容を含む教科書なのではないかと期待していました。が、結論として言えばその期待は裏切られたようです。

この本では、高校生物の教科書に出てくる内容が(もとの高校生物の教科書だとほとんどとりつく島がないのですが、)少し興味を持たせるような感じで博物学的知識としてたくさん載っています。確かにどの内容もある程度、高校から大学につながる内容だとは思います。優等生のノートといった感じでしょうか。ボクは最近生物好きなので、高校生物のまとめとして楽しめました。

が、帯にあるように「現代社会を生きるのに必要」といわれると疑問符を付けざるを得ません。そもそも、生物をあんまり好きじゃない人は、これを最後まで読み解けるのでしょうか?原核生物の扱いや生物間の関係性の扱いが非常に小さいので、植物や菌類をここまで知る必然性が小さいような気がしました。ただ、特に植物の項目については、他ではあまり見かけない資料写真やトピック的な内容が掲載されており、植物に愛着のある人には興味を喚起する内容となっております。(これは著者の中に、クイズ 植物入門の田中先生がおられるからでしょうか。)

しかし、現代社会との関係といえば、遺伝子操作の項も注目されるわけですが、この項はかなり期待はずれでした。

どの項にも、最初にクイズがあるのですが、そのクイズが

遺伝子組み換え作物は安全といえるのか」
(1) 動物実験によって十分に安全性が確かめられているから心配はない
(2) 安全性は長い期間かけて確かめられたものではないので、まったく危険性がないとはいえない
(3) 危険なので食べるべきではない

という設問で、答えが

(2)

とのことなのですが、これは(1)も正解でしょう。

現在、私たちが食べている作物で、安全性が長い期間かけて確かめられている作物ってあるのですかね?
実際は、野菜だってお米だって、かなり最近に出来た新品種を食べているわけです。人間の文明は南でしか育たなかったイネをどんどん北でも育てることが出来るイネへと遺伝的変異を蓄積させ、アンデスの雑草を大きな実がなるトマトへと劇的に変えて生きてきたのです(それが人間文明の本質でしょう)。誰も調べてないですが、単純な品種改良ではゲノム中にかなりの箇所の変異を抱えているでしょう(そうでなければ、品種は改良されません)。
しかし、ジャガイモには芽に含まれる毒があり、トマトにもほぼ同様の毒を作る能力があり、重要な食中毒原因の一つに数えられています。この毒を作る能力が、普通に行われている単純な品種改良の結果として、いつ表に出来てくるやもしれません。
遺伝子組み換えなら理論上、元の品種から1カ所の変異でつくれるのに、交雑による品種改良においてはかなり多くの変異が入ることは、重要な基礎知識ではないでしょうか。そして、もし「長い期間安全性を確かめないと心配ないとは言えない」のならば、ほとんどの農作物は心配した方がいいということを記載すべきです。

または、次の設問として

「非遺伝子組み換え作物は安全といえるのか」
(1) 動物実験によっては全く安全性が確かめられていないが、心配はない
(2) 安全性は長い期間かけて確かめられたものではないので、まったく危険性がないとはいえない
(3) 危険なので食べるべきではない
(4) イネは外来種であるにも関わらず、村々の風景を激変、画一化させ生物多様性を損っているので、駆逐すべきだ。

とでもして、答えを

(2)

と書いておけば、フェアというものです。

そのほか、もし遺伝子操作の事を検定外のことも含めて書くならば、原核生物の遺伝子組み換え生物について書かないのは不自然な気がします。私たちの医薬品は、遺伝子組み換え生物と切っても切り離せない関係にあるはずです。

と、遺伝子組み換えについては特に専門ではないのですが、あんまりにあんまりなのでコメントしてみました。

専門について言えば、p.73に

リン脂質の膜だけでは細長い形をとることはできないので、細胞の内側には細胞骨格という、細胞の形を変えたりその形を維持したりするための繊維状の構造がある。

とありますが、リン脂質の膜だけでも細長い形になります。リン脂質が1種類だけの膜なら球*2でしょうけど、普通は多種の脂質が混じっていて、その中には細長い形になるものもあります。脂質だけで作ることができる形が実際に何らかの機能と結びついているか否かは、最先端の重要なトピックの一つです。多分、細胞骨格は後半の記述のようにリン脂質だけでは実現できない力学的な構造や、機動的な変化を行うために活躍していると思います。

と、期待はずれだ、遺伝子組み換えの説明は偏っているだ批判しまくってしまいましたが、総じて言うと、青臭さも含めて高校で優等生のノートをコピーしたようで、高校時代に生物に没頭するのを逃してしまった人に非常に良い本だと思います。


・コメント欄に編著者の方からコメントをいただけました!
・1/24 01:00 後半部に追記
・1/24 14:50 追記し切れていなかった部分を追記




今日のその他の日記
  生命科学とブログの現状と今後
  生命科学には少なくとも弘中勝と結城浩が必要だ(クイジング入門)

*1:自分が高校生だったときは、何か違うという理由で高校生物を必修分しか取らなかった。そして、理1に入学し紆余曲折して生物学科に進学し、生物で教育実習しながら、やっぱり違うと思い始めた。

*2:リン脂質によっては単一種では膜を作れないものもある。