最先端の科学は切り口を命名する*2

科学というのは、「切り口」を決める機能が特に重要なのではないかと思います。

昨年の選挙の、「郵政民営化」の話とかが分かりやすいかもしれません。

小泉さんが言ったのは、「郵政民営化」か「それ以外」かという「切り口」でした。
そして、その切り口しかないと主張しました。それだけ聞くと、「郵政民営化」が良さそうです。
ただ、実は「郵政民営化以外」を見てみると、郵政族の人が言う「郵政はそのまま続行」や、民主党が選挙中盤で口にし出した「郵政廃止」など、様々な立場があることが分かります。実は「どちらでもない(郵政の3事業は別々に考えるべきだ)」等々といった様な立場も存在したのですが、多くの人が1つの選択肢として、切り口を認知するには、埋もれている立場がたくさんあります。

そもそも、郵政民営化に関連した事柄以外にも、選挙を選ぶ切り口はたくさんあるわけです。

切り口の闘争というのが政治でしょう。

話変わって、上のセクションで述べた疫学と科学の話。

疫学的な分析では、なかなか想定外の切り口を見いだすことは出来ません。

また、切り口なんて考えれば考えるほど出てきますから、声が大きくて、かつ、それなりに論理的・実証的な装いが、人々の検討材料となるためには必要でしょう。

結局、疫学的な分析では、科学者あるいは経営学の職能、政治力のある人を味方に付けるくらいお金や魅力がある団体が、有利な切り口を選択してしまうでしょう。

(僕の思う)科学は、先に切り口を作っていくための存在です。
例えば、周期表は元素があの中に入ると、とりあえずみんなが合意しています。あの分け方以外の分け方をする人はそれなりの説明責任が伴います。そして、説明しないとニセ科学のレッテルを貼られます。
生物も、化学式で表せる物質がつながってできているとか、そういう切り口を問題が起こる前に作っています。
これが、(いざ問題が起きたときの切り口のクッションとして)科学の重要な機能だと思います。

そういう意味で、僕は、やはり、疫学は科学(切り口)の一歩でしかなく、それで追求を終えていい存在ではないと思います。また、最先端で一流の研究というのは、この切り口の変更を鮮やかに証明するようなものなのではないか、と思うのです。