桃の木の下には…

眠れぬ夜となってしまったので、無関係な人には全く意味をなさない思い出話を書いておきたい。

教育実習のひそかな楽しみ方のひとつに、昔習った先生の授業を見れることがある。関係ない教科の授業でも、事前にお願いし、了承してもらえれば見学できる。先生にとっても、関係ない教科の教え子から見学依頼が来るのは、うれしはずかし、という感じらしい。

僕の専門の理科の先生というのは忙しく、(しかも僕は高校3年生で文系を取っていたりして、学校で習ったことがないことを教えたので)なかなか時間がとれなかったのだが、「是非この先生のだけは」という先生を決めて申し込みに行った。その一人が国語のT先生である。
「駄目。今は全然違ってるよ。」と先生は一瞬拒んだ。僕のいた当時、T先生は学年主任でもあり、恐い(恐そうな?)先生の代表格であった。T先生の授業の前だけは、チャイムが鳴る頃には全員が教室の席に座っている、というくらいだったように思う。しかし、僕らが学校を卒業した頃からその雰囲気をやめ、今では「荒れた学年」に手を焼いている、というのだ。少し信じられない思いを抱きながら、しぶしぶ認めてくれた「授業参観」の日を待つことになった。

「あ、来たの?よし、行くぞ。」当日、いつもは厳かな感じの先生が、かなり気合いに満ちた様子だった。そして、教室までの道すがら、この学年から下は小学校でも手を焼いている学年が始まっていること、その対策として今から行くクラスは小学校時代から落ち着かない子供がまとまって入っているクラスであること、そして最近は前の座席の方だけ味方に付けてきたのだと教えてくれた。

教室は騒然としていた。先生が教室に入っても一向に静かになる気配がなく、そもそも机の並び方が無茶苦茶なのにそれも直る気配がないのであった。「今日は君らの先輩が見に来てくれているんだからな。恥かかせるなよな。」という声も喧噪にかき消されてしまっていた。
10分くらいが経過しただろうか、周囲の教室が既に静まりかえっている中、T先生の個人制圧が功を奏してきた。前の方の「味方」の生徒が「お前ら静かにしろよ」と注意するようになったりして、それでも騒がしかったが、起立、礼が行われ、授業が始まった。
一応授業の形式としては、現代文の教科書の本読みであった。しかし、教室の真ん中後ろよりの四人組は、横1列に席を並べて、先生お構いなしに堂々と手紙を回している。卑猥な?手紙を読んで声も上げたりしていて、話にならない。しかも、その四人組以外が集中しているかというとそうでもないようで、前の子以外に本読みが当たるとどこから読んでいいのか分からない状態だった。

「あぁ、今日はだめだな。」と先生はため息をつく。そして黒板に「偽善」と書いた。

「これ、読めるか?」前の子達に尋ねた。
「ぎぜん。」一人が答えた。
「君のことだぞ」と静かにしろといった子に。
「じゃあ、その反対語、わかるか?」
「…」生徒からいろいろ出た。
「これだ。」先生は黒板に「露悪」と書いた。
「これは読めるか?」尋ねる。
「そのまま、ろあくって読むんだ。じゃあ、意味分かるか?」
分からない様子。
先生は胸を張ってこういった。「じゃあ帰って辞書を調べなさい。どちらもダンディズム、根は一緒なんだ。」

生徒はポカーンとして聞いていた。僕もこれから先、どういう授業だったのかは、ほとんど覚えていない。上の空だった。

この日以来僕は、桃の木を見るたびにこの日のことを思い出してしまうのだ。