芽は傷口から出る

自分が徹底的に無価値にされて辛かった思い出が、今のボクを生き生きとさせてくれていると感じる。今日はまたそれを思い出すのにいい日だ。

震災は体験していない。
あの日、我がボロ家は東京のくせに震度2くらいで揺れた。ボクはテレビにかじりついた。関東地方→中京地方→関西地方と震源は移ったが、神戸あたりの震度だけなかなか出なかったのを覚えている。が、バスは普通に動いてた。学校に行っても知らない人だらけだった。東京では漫然とした日々の空気があれからもう10年も、まだ続いている。

昨年、初めて神戸に行った。
11月に行った、防災未来館 http://www.dri.ne.jp/ では たくさんのエネルギーをいただいた。その一部を紹介したい。

震災経験無しの僕は、何となく被災地から分散するのがいいような気がしていた。絶対的なキャパがないところに留まらないという選択は、選べるなら誰にも利益のある選択ではないか。
実は神戸にもそういう人がたくさんいた。しかし、落とし穴はたくさんあった。神戸に行かないと、被災した証明さえ受けられない。情報も届かない。しかも、地元に留まった人からは、地元を見捨てた無責任な人としか映らなかった。

ボクたちに震災がおこったらどうしよう?問題は未だ山積みで放置されたままだ。ただ、問題点の一部は具体的に提示された。これが重要だ。

明日も同じような一日がはじまると信じられた日が終わり、分からないことだらけ手探りの積み木がはじまって10年の神戸の街は、未だ上に向かう新芽のようなパワーを持っているように見えた。

傷口にできた「分からないこと」の上からだけ、芽は出る。