どう分けると良いか?(書きかけ)

 グローバル化だとか規制緩和だとかが叫ばれている。
 グローバルな僕たちは世界各地の名産を即座に食べることができる。規制緩和後の未来は不当な障害、差別もなくなって、すばらしいサービスが切磋琢磨している、はずだ。僕たちは政府や利権を壊し、国境を無くし、地球市民として振る舞うべきだ、という。でも、本当にそうなのだろうか?
 例えば、ボーダーライン無き世界は未知の感染症の恐怖におびえている。これまで密林の奥深くにだけ潜伏していたようなウイルス達が、あっという間に世界を駆け抜けていく危険性をはらんでいる。僕たちはエイズ鳥インフルエンザ、そしてどこで生まれているか全く分からない新種のウイルスに対して、即座に対応していかねばならない。また、女性差別が無くなった昨今では、税金の優遇措置の撤廃などで「主婦」という生き方が難しい世の中になりつつある。男性も女性もみんな一様に働くことが求められる。果たしてこれまでの「主婦」という存在は、全く不要だったのだろうか。みんなが自由にやることを制限する境界線は本当に不要なのだろうか?

生物はどんどん分かれて、そして人間になった

 生物は細胞でできている。細胞膜が空間を内と外とに分け、そこに生命が誕生した。現在でも納豆菌などのグループ(原核生物のグラム陽性細菌)は、1枚の膜で内と外とが隔てられている。同じ原核生物でも、(大腸菌などを含む)プロテオバクテリアと呼ばれているグループは、遠くから見ると1枚の膜で仕切られているように見えるが、内膜と外膜という2層(2枚)の膜につつまれている。また、ラン藻(シアノバクテリア)という太古の地球に酸素を作ったグループの多くは、プロテオバクテリア的な2層の膜に加えて、光合成する「チラコイド膜」を内部に持っている。そして、人間を含む真核生物は、内と外を隔てる膜の中に、これらの細菌をまるごと取り込んで何枚か膜を残した「真核細胞」からできている。この膜の名残がミトコンドリア葉緑体などといわれているものである。真核細胞はこれまた核膜で囲まれた真核生物特有の線状の染色体DNAとは別に、現在でも原核生物と似た環状DNAをミトコンドリア葉緑体の膜構造の中に持っている。さらに、真核細胞は多細胞化し、動物や植物は真核細胞が積み重なる形でできている。ここでも、ある細胞は肝臓に、ある細胞は手に、という感じで細胞が分化して、より複雑になってきた。どんどん空間や細胞を分けていくことによって、人間という存在はあるのである。

知能はどう分けるかに本質がある

 →脳って、Windowsプログラミングみたいなもんじゃない?


以下書きかけ。m(_ _)m

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