サイボーグ技術
mixiでマイミクさんが土曜日のNHKスペシャルを話題にしている。
NHKスペシャル
http://www.nhk.or.jp/special/
2005/11/05 立花隆 最前線報告 サイボーグ技術が人類を変える 補遺 http://matsuda.c.u-tokyo.ac.jp/sci/project/nhksp/
ちなみに補遺のページは、駒場、科学技術インタープリター関連で立花隆が始めた教養学部前期生向けの自由ゼミナールがらみのページの一部である。
http://matsuda.c.u-tokyo.ac.jp/sci/
立花さんはこのゼミでインターネットを使ったメディアを作ることを目指しているが、その最初のお披露目というか既存メディアからの誘導としてセンセーショナルな話題を選んだようだ。
(このゼミについて言えば、本当はもっとインターネットの構造やSEO、RSSなどの活用を知っている人がやれば効果的な試みなのだが、学部前期生と立花隆ではそれは無理だろう。)
で、彼の取り上げたサイボーグ技術は、それほど目新しい技術ではない。オムロンの肩こり装置が精緻になった感じ。要は(あんまり仕組みや信号の意味は分かってないのだけれど)〜の役割を担ってそうな神経の電気信号を記録しておき、後から記録した電気信号を流すと同じ感覚を体験できるとか、その逆に脳に埋め込んだ機械からの電気刺激で脳に直接情報を与える練習をすると、だんだん機械が入力装置として使えるようになる、とかそんな感じ。
それこそ科学的起源としては、20世紀はじめのブロードマンによる"脳地図"の発見等がメインとなって、ようやくここに至った感じの古くて新しい技術である。脳以上に肉体に電気刺激をうまく与える装置は、(ここまで何年もかかっているところを見ると)当面出来なそうである。
ただ、番組を見た普通の人に与えた衝撃は大きかったようだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://matsuda.c.u-tokyo.ac.jp/sci/
こういうので毎回衝撃を受けていると、「もう科学技術は十分だ」という主張に陥ってしまうのではないかと心配になる。
ボクの答えは、やめてもどうにもならない(単なる思考停止で現状は改善しない。原子力のように。)。のに、実際は止められないことを利用して、引きつ戻りつ生きていこうとする反対派を助長してしまうのではないか、という気がする。
このような技術の急速な推進にはかならず積極的に推進している人の影がある。どうして、技術を積極的に推進する人と、「えーそこまで?」と思う人に大きな溝が出来るか?それには病気という問題が絡んでくることが多いような気がする。病気にいったんかかってしまった人は、そこから普通になるためにとにかく何でもするという現状がある。生きる目標が変わってしまうのである。一方、普通の人はタンタンと技術に振り回されず生きていくことがとりあえず普通の目標であるのに、突然、科学技術の進展を目にして、それを期に生き方さえ変えることを迫られる。科学技術の問題は常に生き方を問い直す、ようは病気にかかったときと同じ思考をしないといけない、そこが重みになっているのだろう。
実際に腰を落ち着け深呼吸してみれば、利点や必要も無いのに技術が一人歩きして、みんながそれに従うとは考えがたい(みんなが薬漬けにならないのと同様)。概念的に言えば、技術を導入した世界と導入しない世界が両方比べられるような仕切りを設けて、技術を十分評価するような体制を作るなど、受け入れ方の技術を今後磨いていくことが重要なだけである。
新しい技術が出来たときに、その本質的変化を伝えて行く(そして理解してもらう)には、どうすればいいのだろうか。
・Web2.0時代に、ユーザーが経験しておくべき10のこと
http://www.heartlogic.jp/archives/2005/10/web2010.html
・Tropyで一瞬生まれた文化
#↑しりとりを複製して遊んでみました。(謎
蛇足。
もっと言えば、本当に怖いのはもっと違うものである。タバコとかお酒とか、あるいは小泉・石原流の統治術(あまり良くないけれど、直ぐに決定的な悪影響が出るわけではないような良くないことをして、大衆の目を奪い、本題に目がいかないようにする統治術)とか。現実世界では、スイッチを押すようにして抵抗を許さず簡単に人々を操作できる技術が確立しているのである。
科学の研究で「役立つの?」と聞く人がいるが、科学が社会に無理に役立とうとすればするほど(拙速に技術と結びつけようとするほど)、上にあげたような実現可能で解毒剤のない危険な技術となる可能性が高い気がする。(「必要」や「技術」と関係ない無駄なことまで研究してあると、解毒剤は作りやすい。)