「情報発信しないと“良い研究者”になれないって本当ですか?」
ワタクシ、研究がしたくて研究者ってやつにあこがれている。それなのに、だよ?ラボではセミナー発表、学会発表でのプレゼン能力は超重要だ!と、何度も何度も練習、練習。論文執筆の英語も大変だし、同じに手を動かしても、有名論文に載る研究と載らない研究がある。有名ジャーナルに出した研究者が記者会見してたり、カネモチラボの先生がテレビに出ている姿もよく見かける。どうも、研究者稼業は辞めるまで情報発信の戦略的技術が必要らしい。
しかも、世間では「税金で研究しているんだから、研究者は一般人に何をやっているか説明できないといけない!」なんて言う人もいる。時には「科学技術なんて危険だから、もう研究はやめて平穏に幸せに暮らそう」なんて思っちゃってる人もいて、大なり小なり、研究活動が制限されているんだってさ。動物実験は虐待、遺伝子組み換えをはじめとする生命操作は神をも恐れぬ暴挙で、基礎医学なんて質には踏み込まないまま寿命を延ばして年金財政を破綻させるお荷物でしかなくて、結局のところ、科学研究はみんな税金の無駄遣いなんだって。そんなことをきくと、一般の人の理解をなくすと、研究者は存在できない世の中になってきているのかなあ、とも感じる。
そりゃ、ワタクシもくやしい。科学する心は人間に根源的だ、そう信じて頑張って研究の下積みをしてきてるんだしね。でも、でもさ現実には「一般人にその気持ちを伝えろ」なんてムリ。だって、そういうのはワタクシの親戚のおじちゃんと一度会ってみてから言ってくださいよ。「大学院生です」って言うなり「へぇ、勉強好きなんだね」って言われて、オシマイ。ミトコンドリアさえも口に出来ずにこちらがノックアウトですよ。研究のおもしろさなんて絶対伝えられないって!ついでに「で、どこに就職するんだっけ?」なんて言われ続けてると、悲しくなっちゃう。もう、どうすればイイの??
研究者って、社会に必要なんですか?先生はどうして研究しておられるんですか?
良い研究者って何なんですか?
どう情報を発信しながら生きていけばワタクシは「良い研究者」になれるんでしょうか?
教えて、先生!
答える人↓
塚谷 裕一 先生 (東京大学理学系研究科 教授)
保坂 直紀 先生 (読売新聞社 科学部)
中山 敬一 先生 (九州大学生体防御医学研究所 教授)
大隅 典子 先生 (東北大学医学系研究科 教授)
+シンポジウムのパネリスト
場所↓
東大本郷・理学部2号館・大講堂
日時↓
8/19 13:30〜18:00
その他の詳細と申し込み↓
http://www.seikawakate.org/content/view/21/38/
マナー
ちょいと思うのは、「電車で携帯電話をかけている人を執拗に注意する人」っていうのは、品がないのではないか、ということ。
ペースメーカー規制にしても、今は当たり前のように書いてあるが、実験で影響があったのは15cm。今の携帯だと1cmでもあまり影響が出ないものも多い。そういう科学的知識と「品」とは紙一重の存在なのだろうと思う。藤原なんとかさんの本とか、「食品の裏側」も一緒で、僕にはどちらもすごく品のない本に思えた。
追記
そもそも、携帯の通話禁止って言うのは、若者だけがもっていた時代のひがみの名残かなぁとも思うのだけど。音量にしてみればトンネル通過時が一番うるさいわけでしょ?だいたい、これまでも電車の中でしゃべる人自体は何ら規制していなかったわけで。
でも、何が嫌かというと、会話についつい耳を傾けてしまって盗み聴きするような自分自身が嫌なわけさ。つまり本当は電車の中で会話が流れること自体が嫌なのに、それまでそういう自己主張をすることは自分のわがまま、品のなさをひけらかす行為にもつながることを知っていたために、しなかった。でも、昨今では登場時は若者の象徴だった携帯電話、ペースメーカーへの影響とか言う張りぼての権威にかこつけて、弱者を弾圧し、そういう自意識過剰的自己実現意欲を満たそうとしている、何て品のない行為なんだ!電車の中では静かに他人の会話に耳を傾けて、世代間コミュニケーションを育むべきだ!
とかさ、都知事とか総理とかくらいのレベルで話半分に聴いてよ。w
そういうまことしやかな与太話をできる狂った左翼が減っているのが昨今のバランス感覚の欠如につながるのかなぁと。
まぁ、んな結果、僕のバランス感覚的には、「執拗に注意する人は品がない」とラベリングする必要があるんじゃないか、という程度の意見なわけさ。
安心と安全は別か?
「安全の先にある安心」より「安全をないがしろにしても安心」の方が素人受けする。一般人は安全と安心を同一視しているフリをしながらも、「安心」の重要な要素には利便性など、安全と対立する要素が混じっている。
例
・電車は長い時間かけて安全確認した方が安全。でも、長く止まっている電車の方が不安感を与える。
発展
・マイナスイオンやナナメドラムといった、性能的には不利な点は有っても利点は全くない(不安全)商品が、たぶん「安心」と似た理由で買われている。
ナナメドラムに関する追記
ま、店頭とかで実際使ってみると一番分かるのだけど、45度が一番腰に来る角度だったりする。垂直なら洗濯物の重さだけだし、横なら水平移動の摩擦だけ。ナナメは沢山筋肉を使って、腰に来る。最近の日立のパンフか何かには、筋電図まで使ってナナメが一番腰の負担になることを確かめている。でも、何となく言葉だけで「使いやすくした」って言われるとみんなだまされちゃうね。
ちなみにナナメだと洗浄力はかなり劣るので、洗うのにも沢山の洗剤が居るし、脱水がうまくできないから乾燥もすごい苦手で、一晩掛かっても乾かないという代物。最初の機械では、乾かないところを無理矢理乾かそうとしてヒーターを強くしすぎて、ワイシャツが焦げる事例も多数、独立行政法人国民生活センターに報告されている。でも、日経うんたら賞とか、もらってる。いやはや。
科学者という仕事
中公新書 酒井邦嘉著
「科学者という仕事 独創性はどのように生まれるか」
isbn:4121018435
あの、「言語の脳科学」で売るのに物理学出身という異色の経歴の持ち主、駒場前期課程授業の人気助教授にして、そりが合わない人とはとことんそりが合わないという天才肌の男が科学者論を出版。講義の合間にしゃべる雑談をまとめたものだという。
内容はきわめて正統派。正統派過ぎて、そこは古いと感じるようなところも何点かあるが、そういう点も含めて、現在教員を為す人々の考えの「ど真ん中」である。数年後には「大学生が読んでおきたい50冊」に入るべくして入るだろう。大学院選び中の大学生や大学院生が「科学者になるというのはどういうことか」網羅的に学ぶのに最適。そして、過去の偉人のエピソードと共にストレートに語られる切り口は「研究者って得体が知れない」と思っている一般の方にもおすすめ。
日記の分類と情報探索法
以前から、どう情報探すの?的な質問をされることが多かった。ということで、今日はそんなことを書いておこうと思っている。(mixi日記からの転載。)
だけど、本題に入る前にいいわけ。
日記に何書くかってのは人それぞれだけど、投稿するときは、いつも震える。(ダイアモンドだね。謎。つうか、古っ。)何か、僕はいつも、日記ってのは学校で成績つくのと似たところがあるのかなぁと思う。
というのは、学校での成績は、
- 出席でつく授業、授業態度でつく授業
- テストでつく授業
- レポートでつく授業
みたいにあるわけだけど、なんつーか、ほら、日記とかblogも
- 存在証明、今日感じたこと的な日記
- とりあえずポイントを抑えてニュートラルに社会ネタの日記
- (2)をふまえて自分の見解などを論考する日記
みたいな感じであってさ、どれが良い日記とかいうのではなくて、それぞれ日記で重要なことも違うわけさ。例えば、
- 毎日更新すること。感じ方が「大体みんなと同じで、ちょっと違う」てな心の機微を伝えるのが重要
- 定期的に更新すること、内容が網羅的で正しいことが重要
- 論理的であり、かつ独自の視点をもっていることが重要
みたいな感じでさ。
そすると、現状をまとめる日記っていうのは、成績評価でいうとテストな感じに近くて、何というか、苦手意識というか、特に緊張してしまうわけで。いやー、やだね、と。
てなわけで、ま、55点くらい取れるシケプリ目指して、情報探索法やその実際なぞをざっと。
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情報探索法がなぜ問題か(この部分はレポートか。)
・基本は、情報を求めている人と情報を受け取る人のマッチング。人は自分に都合の良い情報をほしがる。
・"最適な行動"をするためには適切な情報が必要。得ている情報によって最適な行動や実際に得られるパフォーマンスは異なる。期待しないけど画期的、あるいは信頼性の高い、タイミングのあった情報を素早く得るにはどうするか、これが難しい。
・どうすれば情報が伝わるか。相手、社会を「行動させる」ための情報発信はどうするか。(情報を得る側も常に、情報の出し手の気持ちを考える必要。)
既存のメディア構造の分析
・媒介者、ハブの存在(6人辿れば世界の誰ともつながる。多すぎも少なすぎもしない数のハブ)
・それぞれの層によって信頼するメディアは異なる。ある程度の細分化が必要。(例えば、戸別勧誘から情報を得る人、「あるある」から情報を得る人、漫画雑誌、婦人雑誌、折り込み広告から得る人、「ガッテン」からの人、新書を読む人、新聞からの人、ネットからの人、英文の専門誌から情報を得る人等々。一斉メディアは存在しない。)
・メディアは固定化すると「見ている人が欲しそうな情報」ばかりを出す結果、だれも欲しくない情報になりがち。
・実は本当に、常にいいメディアはできない
(例えば、いくら朝日新聞や日経新聞、NHKを批判しても、全体に文章や正確さをみれば、
民放<NHK
スポーツ新聞<読売<朝日<日経
は明らか。壊して良い物を作るには時間が掛かる。)
・つまり、階層構造を理解した上で、各自で後悔しない「情報を得る構造」をつくる取り組みが必要。
得たい情報の種類
・知りたい事柄の詳細情報
・今は知らないけど、情報を知ったあとに知って良かったと思える最新情報
知りたい事柄の詳細情報を得る技術
・googleにヒットするページの様子を思い描いてキーワードを入れる。
・まとめサイト、識者を探す
・検索エンジンを変える、検索エンジンで引っかからないページの検索ボックスを使う
・人に聞く
・自分の日記を読んでくれている人のつっこみに耳を傾ける
・見つかりにくい情報を見つけたら、自分で検索エンジンにヒットするページやサイトを作ってウマー。→自分のサイトにつっこみを入れてくれる人が増える
今は知らないけど、情報を知ったあとに知って良かったと思える最新情報を知る技術
・基本は、「情報を知ったときに知って良かったと思えたシチュエーション」と類似のシチュエーションを経験する機会を増やすこと、沢山の情報を消化する道具を使うこと。
・沢山ネットサーフィン、情報検索して、良い情報が得られるページを探す。
・沢山情報を出して、良い情報を教えてくれる友達を増やす。(自分に近い境遇の人を探すには、あまりに日常的な風景を検索する。例えば、福岡で学会の時に「福岡に来ています」をブログ検索とかね。)
・良いはてなブックマーカーを見つける。
・良い記事を提供するニュースサイトを見る。
・良い情報(本やゲーム、サイト)を見つけたら、それが既に紹介されていたサイトを探す。
・みんなが見るサイトを見る。(例えば、Yahoo!ニュース。)
・ニュースサイトで良く取り上げられたサイトをまとめたサイトを見に行く。(例えば、みなぎね、p-あんてななど。)
・ブログやブックマークサイトで人気があるトピックや注目ワードを見る。(例えば、はてなの各種サービス、MM/Memo、kizasi.jp、テクノラティ、ドリコム、話題のjp、goo注目ワードなど)
・今まで訪れたページが更新されたら見に行く。
→自動で見に行く技術がアンテナ、RSSリーダーなど。道具を使って、各人の情報を得る構造を作る。
最新情報を得る道具の最適化の歴史
・ブラウザのお気に入りに入れる/ブックマークして覚えておく
・更新を確認する(アンテナ)
・更新情報を積極的に配信するRSSを読む(RSS Reader)
・好きな記事を保管、投票してみんなに読んでもらう(はてなブックマーク)
RSS Readerの変遷
・ソフトウェア型(一カ所でしか読めない)
・ティッカー型(文字の流れる掲示板風で大量の1行情報を消費するのに適す)
・Web型(どの端末でもチェックできる)
操作性よし。
しばしば読み込みに間が空く。
未読が溜まったときに、とりあえず拾い読みするのが面倒
自分のマシンで動くRSSリーダーで読み込みが速い。(Webベースで動くRSSリーダーで自分のマシンで動くものは、RNA以来。)
Bloglinesの操作性そのまま。(キーボードのショートカットは少ない)
携帯から使える(?
MyRSSが搭載されていて、RSSを吐かないページもRSS化
過去の記事の検索機能
でもソースは暗号化されていてちょっと気味が悪い(ライセンスで二転三転する。)せっかく自分の手元に情報が置けるなら、どうせならもっと自分であれこれできる方が良かったな。
Bloglinesの操作性そのまま(むしろ使いやすい)
少なくとも今は速い
レート機能、更新順表示など、登録ブログの並び替えが自在
いずれにしてもOPMLでRSS Reader間の乗り換えは容易なので、どんどん新しいものを試してみて良いのではないかと思う。←この気持ちで情報に接することが最大の情報探索法なのではないかと。
みなさんの情報探索法はいかがですか?
さて、注目の関連文献。
・ウェブ進化論@ちくま新書
・アンビエント・ファインダビリティ
mixi日記の追記 <4月27日(木)>
『アンビエント・ファインダビリティ』出版記念イベント
@お茶の水デジハリ
http://diary.yuco.net/20060428.html
http://blog.iaspectrum.net/2006/04/post_4803.html
・権威をどうするか
現実だと思っている物は、ほとんどメディアから得た情報。「学会よりはてブ」「辞書よりWikipedia」の時代にどう信頼は形成されるか。
・知恵を引き出すコミュニケーション@橋本大也氏
情報技術的な検索でなくて、新しい知恵を生み出すコミュニケーションのあり方。(例えば、mixi日記と普通のブログだと明らかにコメントの付き方が違う。普通のブログだとコメントもらえることもあるけど、単なるWebページだと直メールでコメントくれる人はもっと少ない。コメント欄よりはてブのコメント欄の方が栄えている。等々。)
一面記事に注目、でしょ?
毎度毎度でそろそろ飽きてきているけど、こういうのに慣れっこになっちゃいかんと思うわけで。
また一面記事が、現政権がどうにでもできる記事に変わった。
民主小沢党首誕生→沖縄普天間基地合意
安全より安心、実質よりコンプライアンス。
道路は全部造って郵政公社を温存しても、カイカクのコイズミ劇場。
実態はどうであれ、どう見えるか、どう覚えてもらうかが今の世の中では重要。つまり、ホリエモン万歳ってことだ。
なにしろ80%の人は中身を見ていない。
たぶん50%以上の人が中身をそもそも評価できない。
コイズミだけじゃなくて、全てのニュースで言えることだ。
大抵の人は、専門家の意見や理路整然とした意見を求めているのではなくて、「専門家っぽい風貌の人」の意見を求めている。
ポイントは、本当の専門家があまりの荒唐無稽さに一瞬言葉を失うようにすること。
本当の専門家が「くだらない」と判断する(批判する価値さえない)言説を作り、専門家っぽい風貌の人が世に広める。
その後、本当の専門家が口を開きだす前に、「異論が出ないようなので私の意見は正しい」と高らかに宣言する。
反論には「後出しじゃんけんだ」とか「今までは私の主張でやってきて問題は出ていない」と言って、正当な反論を無効化する。
(香山リカ「テレビの罠」で指摘されていたメソッドその2)
例えば、普通は「政権に都合の悪い記事を沢山報道させないために、記事の当日にたくさんニュースを用意しておく(しかも本決まりしても、そのために温存しておく)」などというくだらないことを現政権が本気でやるとは、陰謀説のようで公には口にしがたい。徐々にマスコミ人では知れ渡っても、一般の人に改まってきちんと伝える機会は生まれない。伝わった人は、そんなの気づくでしょ、と思う。でも、意識しないと確実に重要な記事が薄まって伝わる。
ニセ科学
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/nisekagaku/JPSmeeting_kikuchi.pdf
にしても、遺伝子組み換えとかの市民運動にしても、環境ホルモンだって、一般に広がったのはそういう仕組みだろう。なかなか実質的なところに差し戻す革命を起こすにはエネルギーがいりそうである。
花見前の基礎知識:桜のツボミはいつできるか?
(この項はまだ書きかけです。)
ブルーバックスの「クイズ植物入門」isbn:4062574748 という本には面白いクイズがたくさんあるのですが、その中でも今もっとも旬なのが、この問題です。
問題46 春に花咲くサクラのツボミは、いつ出来るか?
秋に、季節はずれのサクラの花が咲くことがある。新聞やテレビでは、いかにも不思議なことのように報道され、「なぜだろう」と騒がれる。しかし、大切なことが見逃されている。それは、「ツボミがいつできるか」である。
春に花咲くサクラのツボミは、いつできるのだろうか。
(A) 花が咲く春のはじめ
(B) 前年の夏
(C) 前年の秋
(D) 花が咲く前の冬の間
この問題が旬なのは「今が花見の盛りだから」というだけではない、というのはまたあとにして。
この問題の答えは、どうですか?わかりますか?
答えは、(B)の前年の夏です。
「枯れ木に花を」などと言うほどに、素早く成長して花が咲いているように見えるサクラですが、なんと、この春のわずかなひとときに美しく花開くために、サクラは前年の夏から準備をしていたのです。さらに、ツボミを作る時期や花が咲く時期は、種類によってほとんど一定に保たれています。
植物にとって、花を咲かせることには非常に重要な意味があります。
他方、人間にとっても、美しさ、そして実がなる象徴でもある花と、花がいつ咲くか(さらに、あわよくば咲く数や時期を調節できないか)という問題は長く興味の焦点になってきていて、たくさんの知識の蓄積があります。
花は葉の変形である
さて。まず、花そのもののお話をしましょう。
花は葉の変形だ、という話は知っていますか?
ABCモデル
このように、植物は葉をある部分からガク、花びら、おしべ、めしべに変化させることで、花をつくります。
栄養生長から生殖生長へ
ここで、植物は自分が生きていこうとするためだけならば、ずっと多くの葉を広げ光合成をして、自分が生きるためのエネルギーを作ること(栄養生長)が最適な戦略になります。
一方、子孫を作るための花(生殖器官)をつくると、栄養はあまり得られないのに、栄養を使う組織が増えることになります。(生殖生長)
しかし、例えば一年草の場合は、ずっと葉だけをつくっていては、いつか冬が来て光合成できず、子孫が途絶えてしまいます。花を咲かせるということは、次世代を作るのに必要な種をつくるときであり、一年草の場合、それは死のタイミングを決める瞬間でもあります。
また、冬を越せる植物にしても、群落を作った方が何かと有利なこともあるかもしれないですし、また、自分と少し性質が異なるかもしれない子孫を作ることで、進化していくことができるかもしれません。
つまり、植物にとって、1つの枝の次につくる芽をこのまま葉をつくる芽にするか、はたまた花をつくる芽(花芽)にするか、というのは、非常に重要な選択になるわけです。
花を作るタイミングを決めるものは何か
今まで見てきたように、花を咲かせるタイミングというのには植物にとって非常に重要な意味があり、厳密にコントロールされています。そして、実は多くの木々が、前年の夏に翌年咲く花のつぼみの元、花芽(はなめ;かが)を準備します。
落葉樹の場合、開花前は冬の寒い時期なので、もっとずっと前の夏に花芽をつけ、成長した冬ごもりの芽のまま冬を越します。
しかし、常緑樹の場合は、年中、丁度開花の前の良い時期に花芽をつけているようです。不思議ですね。
一体、「葉ではなく花芽をつくれ」という指令はどのように行われているのでしょうか?
1930年代までに、花芽の形成は日の長さ[実は夜の長さ]の変化に応じて起こるらしい(それぞれの種によって好きな夜の長さになったら花芽ができる)ということが分かっていました。そして、そのころ、何人かの研究者が、観察や葉の接ぎ木実験などによって「日の長さを感じているのは、花芽ができる部分ではなくて、(既にできた)葉である」ということを明らかにしました。そこで、1937年、ソ連の学者チャイラヒアンは、葉から芽の先端に「花芽を作れ」と命令するホルモンが存在すると仮定し、それをフロリゲン(花成ホルモン)と呼ぶことにしました。ここから、世界中でフロリゲンを探索する競争が始まりました。*1
振り返って前の表をみると、確かに花芽は必ず葉があるときにできています。
しかし、来る日も来る日もフロリゲンは見つかりませんでした。接ぎ木実験で、フロリゲンが作れるようになった葉を他の木に接ぎ木すると、花芽ができます。これは種を超えて成功する例もありましたが、フロリゲンとして見つかってくる物質は、特定の種には効いてもそれ以外の植物には効果を発揮しないものばかりでした。そして、1990年代には、もう「フロリゲン」という単一の物質はないのだろう、と言われ始めるようになってきていました。
2005年、フロリゲンの年
しかし、ちょうど昨年の秋(8月と9月)、「フロリゲン発見か」という論文がサイエンスという権威ある雑誌に次々と発表されてホットトピックになったのです。それによると、なんと、フロリゲンの正体は、FTという遺伝子のRNAであろうというのです。確かにRNAならば、分解されやすくて発見しにくいということになっています。
それは、シロイヌナズナというナズナの一種*2を用いた、遺伝学的な実験で証明されました。詳しい実験内容を述べるのはやめておくが、少しずつ遺伝子の壊れたシロイヌナズナを沢山集め、その中から、花芽ができない植物について、どの部分のDNAが壊れているかを追跡していく方法で沢山の花芽形成に関わる遺伝子を見つけ、その遺伝子のネットワークやどこで働いているかを丹念に解析していった結果、FTという遺伝子がどうやら、葉から芽に「花芽をつくる指令」を与えていることがわかったのです。
このFTのRNAがまだ本当にフロリゲンとして活躍しているのか、確実な証拠は固まっていません。しかし、今後の継続的な研究で、いつの日か、どうやってサクラの 花芽ができるのか明らかになることでしょう。
*1:ここら辺の詳しい流れは、中公新書「花を咲かせるものは何か」isbn:4121014006 をご覧ください。
*2:植物で初めて全DNA配列が読まれた生き物で、植物でDNAを扱った実験をするなら、まずみんなこれを実験するだろう、という意味で「モデル植物」と呼ばれている